身近な風景

 

福岡城址 桜満開の人出

 
 

福岡城を守る堀として造られた。

 
 

大濠公園

向かい側福岡市美術館 最近リフォームして開館。
コロナ禍になってまだ行っていません。

 
 

 

百道浜 

西南学院仮駐車場

 
   
 

平和台競技場

 
 

百道浜

海岸を埋め立てて、博覧会をし、跡地に高層住宅が建ち並んでいる。

 
  春 日  
 

春日公園  
福岡県立 長い間米軍基地だった。 まちの平たい土地のほとんどを接収して。
それが公園にかわって、 軍事基地と平和の象徴の公園に激変。
東公園に移転した県庁のために 多くの樹木をここに移植して、
素晴らしい公園になった。

 
 

木々に囲まれた春日公園 福岡県県庁東公園に移転した時
植っていた木を春日公園に移植した。 樹々は所せましと茂っている。

 
 

暑さの夏も子どもたちはスケートを 楽しんでいる

 
 

秋の陽を浴びて 春日公園

 
 

晩秋の春日公園

 
 

冬枯れの春日公園

 
 

 

鎮西学院 

長崎ウエスレヤン大学(現鎮西学院大学)

 
 

鎮西学院牧場

戦後復興事業でアメリカの教会から送られたホルスタインと
ジャージ種の牛と豚農場経営担当の宣教師も。
新しい教育を実学にもとめた時代があった。
私も草刈りやお茶の刈り取りの実習の時間巣を過ごした記憶があります。

 
 

100周年記念館 私が在学していた時、
創立80週年記念劇が市川森一さんの脚本によって上演された。
私も兵隊2の役で出演した。
特に学院で戦時中を過ごした卒業生にとって、意義深いひと時であった。
それからあっとうい間に100記念となってこの建物が建てられた。

 
 

鎮西学院高校運動会

運動会があるとこちら側からスケッチした。
私のころはまだ戦後の貧しく、寒い時期だった。
運動場はこんなに整地されていなかった。
校舎も半分くらいだった。
それでも懐かしい気持ちは人並みに湧いてきた。

 
   
 

運動会

 
 

多良見から大村湾 

長崎国際空港を臨んで

 
 

長崎ウエスレヤン大学 今鎮西学院大学

 
 

わたしの職場

ピースチャペル 長崎ウエスレヤン大学 
鎮西学院大学へ 原爆による校舎崩壊により、諫早に移転した学院は、
戦後復興の目標の一つの大学設立を掲げた。
学制がかわり、鎮西学院短期大学、長崎ウエスレヤン短期大学を経て
2001年長崎ウエスレヤン大学を設立した。その後2021年鎮西学院大学と改名した

 
     
 

花梅の木

 
 

ピースチャペル

 
     
   
 

クラス会 ハウステンボス

 
 

 

長 崎

活水学院

 
   
 

観光バスのガイド付き旅行者がまばらなオランダ坂。

左手に活水学院がある

 
 

活水学院 
日曜礼拝のプログラムで活水学院訪問をした。
あらかじめ許可を得て構内に入り、チャペルで礼拝し校庭で昼食をとった。
学生のほかにも同窓生の方も参加してくださって、
その後外国人墓地まで歩き、スミス先生他の墓参をした。
その時にスケッチしたものである。
書き込みに2007年4月15日を発見。
春の緑がにぎやかだったんですね。

 
   
 

大村市鶴亀橋
母はこのそばの原口呉服店で生まれたそうです。
母がなくなり後妻が来られて、寂しかったかとおもいます。
その後、祖父は佐世保、また平戸口で薪炭業を営んで いたそうです。
母は長崎高女を出て父と結婚、島原に疎開して、
ここで私が生まれ、嬉野、飯塚、沖縄、愛媛県の三瓶で仕事を終え、
青梅の信愛荘で98年の生涯を閉じました。

 
 

田平の教会

麦畑にたたずむ教会。橋を渡れば平戸。
近寄ってみると壁に銃弾の跡があり、
戦争の時に被害が今も残っている。

 
   
 

多良岳  

有明海の西一帯に連山をなしている。

 
 

有明海 →

色を書き込むのはあまりしていません、
空を全面深い青にしてみたが、
やっぱり空は描かないほうが 見る人の想像力を高めるかも。

 
 

ハウステンボス 

咸臨丸の模型をみながら。
中国上海電機に売却され、。IRギャンブルの施設にとの うわさ。
長崎県の知らぬところで話は進んでいるとか?

 
   
 

 

有田の陶器市 人手が多かった。

 
 

楠 泊

長崎県北松浦郡、海辺に妻の実家があって、九十九島の一角にある。
スイスで買ったクレヨンの色がよくて、いまでもきれいだなぁとおもう。

 
 

冷水岳から褥崎の教会 ここからは九十九島がよく見える

 
  石木地区
川棚から北東に山をのぼって、石木地区になんどか行った。
ここに長崎県が治水にためにダムを造る。
いや反対という運動が長く続いて。
そのうちダムが必要という根拠がなくなったのに、
ごり押しする県知事が選挙に負けたの一休み状態になっている。
国の補助金目当ての政策が、検問に本当に必要な、
農業や林業の地道な政策が必要なのに。いつもそう思っていた。
 
 

石木地区

また。ある時は集落のスケッチを。
こういう先祖伝来の土地をダムの底に埋めたらダメです。
ダム建設の必要のなかにかつたの渇水の難があげられているが、
それから渇水は一度も起こっていない。
その対策はダムを作るだけではあるまい。

 
     
   
 

大三東 おおみさき

 
 

島原港

1944年12月4日に島原でうまれました。
幼稚園にいく前まで、白土湖から流れる川のほとりの島原教会で、
幼いなりに幻想的な思い出がたくさんあります。
一番は島原鉄道の機関車にひかれる列車を踏切でみるのがすきでした。
母に弁当をつくってもらって、汽車に乗り、帰り道が分から
なくなって補導されたはなしとか、私に記憶のない記憶がたくさんあります。

 
 

眉山 
江戸時代の地震でできた山 島原大変 肥後迷惑と言い伝えられてきた。

 
 

長崎港のプリンセス号