おはようバッハ 目次

おはようバッハ 目次

 

   おはようバッハ   

  1.作曲順によるカンタータ 本ページ

  2.教会暦による祝祭曲とカンタータ

  3.BWV(バッハ作品番号)によるカンタータ

 

1.生い立ち 2.宮廷音楽師 3.トマス教会時代 作曲順
カンタータ ワイマール・ケーテン時代  作曲順に見る全 カンタータ200曲
 

 

退職し、2018年に福岡に引っ越しました。

 

毎朝バッハに向きあい、楽譜の謎解きや音声制作など艱難辛苦を乗り越えて、

音霊となったカンタータを旧ウォークマンに入れて散歩に出かける。

こんな至福の日々を過ごしているうちに

「おはようバッハ」と呼びかけたい気持ちになってきたので、

ブログの名前を「おはようバッハ」とさせていただいた。

バッハの生い立ちから65年の生涯を200曲の教会カンタータで取り上げ

          1.作曲順にカンタータの成り立ちと展開。

          2.教会暦によるカンタータの通常礼拝と特別礼拝での実践

          3.「カンタータ」(BWV1-220)一覧

                                     収集された全楽譜1038曲はシユミーダーによつてBWV番号がつけられ、

          1950年に発表され、世界共通番号となった。

             この三つの点から「おはようバッハ」を綴ります。

 

参考書「小説 バッハ 」ハンス・フランク著
佐藤牧夫訳、1960年GmbH.刊   音楽の友社
大変参考になりました。ありがとうございます

            「小説 バッハ」要約       ←クリックして              

 

 

 

上記地図対称表

アイゼナツハ 出生地
北方リューベック 聖歌隊
ワイマールちょっと半年 バイリン弾き
アルンシュタット 就職して一悶着
ミュールハウゼン 結婚
ワイマール 宮廷音楽師
ケーテン 宮廷音楽師 再婚
ライプツィヒ トマス教会音楽監督

 

 

1.生い立ち

父母の死

 

 

 

 

 

 リューネブルク

  聖歌隊

 

 ミカエル教会ky

  オルガニスト

 

 


アイゼナッハの町の塔
oi
バッハの先祖は今のチェコで、水車小屋で粉ひきをし、楽器を奏で歌っていた。ところがカトリック教徒の領主が他の信仰を認めない、殺すぞなどと言った。財産を整理しドイツ・チューリンゲン地方に移り住んだ。
バッハの父はアイゼナッハ市の鐘楼で時刻をつげるラッパふきの仕事を得た。 ← →

父ヨハン・アンブロジウス

バッハが9歳の時、両親が亡くなり、14歳上の兄に養われることになった。
ところが長兄に5人目の子どもが生まると、これ以上お世話になるわけにもいかず、後一年で大学進学という道をあきらめ、ドイツ北方のリューネブルクの教会付属学校聖歌隊への推薦を持って面接試験を受けた。1700年3月、15歳の年だった。試験の結果、有給のソプラノ歌手、のちに助手として指揮者を助け、時にはバイオリン奏者として充実した自立の道を歩みはじめた。
人口が4000人のリューネブルクには3つの教会があった。バッハはミカエル教会の聖歌隊メツテンコールに入り、ボーイソプラノを歌い聖歌隊に命を吹き込み、活気づけた。
ところが、声に変化が現れていると、指摘する人もいて、彼は変声期に入っていた。これまでの美声がなくなれば、自ずと退団が待っていた。ほかに行き場はなかった。ショック!
しかし、バッハは聖歌隊の指揮者の助手として、いなければ困る存在になっていた。それに管弦楽に加わってバイオリンやヴィオラの要員にもなっていた。そこで管弦楽団のメンバーになることができた。よかったですね。

 

 

 

 

バッハの生家
バッハハウス 記念館
9歳の時父母がなくなる
まで住んでいた家

 記念館は閉まっていた。座ってリンゴを食べていると少年二人が近寄ってきて、話しかけるのでカタコトで返すと、町の案内をしてくれた。
1984年代の共産主義陣営の東ドイツはとてもさびれていた。
  
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ワイマール

ヴァイオリン奏者

 

アルンシュタット

聖ボニファチウス教会

 オルガニスト

 

 

 

 

 

 

 

その後ワイマールの宮廷音楽のヴァイオリン奏者を務めたが、間もなくしてアルンシュタット市の聖ボニフアチウス教会の新しいオルガンの試験演奏者に抜擢された。この教会は122年前、炎暑の中で市長宅の屋根に塗っていたコールタールから発火して町中に燃え広がった大火のために、聖ボニフアチウス教会も延焼し、1722年ここに再現した。その教会に備えられたオルガンだった。 この街はバッハ一族が活躍した町でもあった。
このようなことがあって白羽の矢が当たったバッハは聖ボニフアチウス教会のオルガニストに就任したのであった。
1703年、18歳だった。災い転じて福となるでしょうか。
                                                                                                            小説 バッハ」-その6-
聖ボニフアチウス教会のオルガニストになったバッハは、縁戚に当たる 一歳年上のマリア バルバラ バッハと親しくなった。彼女もバッハの境遇と似て、幼くして両親を亡くし、叔母に育てられた。その叔母の家で会うようになった。バッハが弾くチェンバロにあわせて マリアが歌い、新曲なども歌った。バッハは教会の仕事場のオルガンにあわせて マリア バルバラが歌うと、曲想がどんどん展開した。
しかし、当時、今からは想像できないところもあった。教会の聖歌隊で女性が歌うことはなかった。その習慣と違うことを マリア バルバラは心配していたが、おかまいなしのバッハがすることは、トラブルに発展した。この辺のくだりは30年前に読んだわたしの記憶をよみがえらせる。というところで、本書4章が終わる。
小説 バッハ」-その7- 大家ブクステフードのもとへ

就職して2年がたった1705年の待降節の時期に、バッハはオルガン研修のための休暇願いを、アルンシュタット市長に提出し、ひと月限りの許可をもらった。彼はハンザ同盟の交易で栄えた北ドイツのリューベックへ向かった。聖ボニファティウス教会の70歳近いブクテフード(この2年後に亡くなった)は一つの条件をつけて後継者を探していた。その条件は30才後半になる娘の結婚相手になってもらうということであった。師匠と弟子は研修の成果と将来の方向で一致し、希望に満ちていた。ひと月の許可をとった休暇を、無断で延期して4ヶ月にも及んだことでも想像できる。オルガン、ヴァイオリンの技術を高め、クリスマス、王の退位と就任式、また地域と一体になった演奏会活動にも参加した。プログラムを手伝い、夢中になり、充実した時を過ごした。ブクステフードも周辺も、バッハは結婚して、後継者になってくれると暗黙裡に確信していた。アルンシュタットに残してきたマリア バルバラと約束は何もしていないこともあった。これまで多くの後継者候補があらわれた。ヘンデルも辞退した一人だった。しかし、別れを告げる時がきた。バッハは明日、出発することを告げた。ブクステフードと娘は動揺したが、最後の夜を、3人での小さな音楽会で別れを惜しんだ>
「小説 バッハ」その7-2
 一ヶ月の研修許可を、無断で四ヶ月にのばしたバッハは、帰って、裁判の被告になった。教会の牧師団、アルンシュタット市政の長によって裁判が行われ、その上にいるシュヴァルツブルク伯爵領主の承認によって判決はなされた。バッハが目指す独立した音楽は理解されず、かといってこの逸材を失う損失とのバランスで、また、被告バッハが非を認めることをしないため、結論は先延ばしにされた。a5
 音楽の完成というものはあり得ない。ゆえに、絶えず完成を目指して、試みをなしていく。この姿勢に立つバッハのオルガンは一般の人には長すぎるとか、あまりにも抑揚が激しすぎる。慣れ親しんできた、古く陳腐で退屈な演奏が求められて、バッハには受け入れられなかった。17070515 ミュールハウゼンの聖ブラウジス教会と契約 4月24日 試験演奏でBWV4 キリストは死の縄目につき を演奏した。BWV71神は古よりわが王小説バッハその8ミュールハウゼン
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2.宮廷音楽師

ワイマールからケーテン(宮廷音楽師)時代の作品  23曲

1707~1722年 作曲順   薄青色の文字をクリックしてしてYouTubeへ

 

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ワイマール時代 

1707-1708年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケーテン時代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作曲順     曲  名  BWV   教会歴   初演
作曲順     曲  名      BWV   教会歴   初演
1 深い淵より、主よ、  131   復1  17070000
2 神の時は最良の時     106   三19  17070810
3 わが魂主を讃えよ    43   復2    17080000
4 神はわが王                71  三16   17080204
5 キリストは死の縄目に  4  三16  17080400
6 主はわれらをみ心に   198  三4  17080605
7 どこにわれらは逃れ行く   5   三7 17080605
8 主を仰ぎ望む            150   三6 17100000
9 天から雪降り雨下り   18  マリア  17130219
10 わたしは心に多く   21    昇    17131200
11 いざ罪に抗すべき     54    復3   17140304
12 天の王よようこそ来ませ 182顕217140325 
13  泣き、嘆き、憂い、恐れ   12 顕6   17140422
14  響きわたれ、汝らの歌     172 降3  17140720
15  来ませ異邦人の救い主 61新年 17141202
16  キリスト者よこの日を刻め 63 三1417141225
17  出で立て、信仰の道に  154 復8 17141230
18  天は笑い地は歓呼する 31  ミカエル 17150421
19  おお、聖なる洗礼よ         165 三1 17150616
20  ひとはそれぞれ分に応じて  163 三1 17151124
21  道を備え、大路をつくれ 132 復前7 17151222
22  来ませ甘き死の時よ       161 復7 17160927
23  婚礼に行こうとする今    164 三4 17191025
BWV
バッハ作品番号(Bach Werk Verzeichnis)
散逸していた楽譜は、1950年、W.シュナイダーによつて整理され、発表された。
バツハの全1083作品のうち
カンタータは231曲。

 29歳のバッハは、ワイマールのヴィルヘルム エルンスト公爵の宮廷礼拝堂オルガニスト、また制服を着た16人の音楽師として、これから9年間を過ごした。
本書の著者は、バッハのこの時期の自由な創作活動を高く評価している。
1,俸給が上がったこと。85グルデンから、最終的には250グルデンに上がった。
月に9つの新しいカンタータを演奏する義務を課せられたことなど。

バッハは北ドイツの巨匠ブクステフードの穏やかで深いオルガン音楽と、
南ドイツの巨匠パッヘルベルの情感豊かで、軽快な音楽を総合した。
またイタリアオペラの自由な表現も影響を受けた。
月々に9つのカンタータを作る義務はバッハに一つの形式を生み出し                     小説「 バッハ」 -その12- ワイマール時代 後半

 ワイマール公は次代に席を譲ったが、身内の争いが絶えず、
バッハにはどちらにもくみしない態度を保てなくなった。
1717年10月31日宗教改革200年記念祭の計画が、
前日の30日のワイマール公の誕生祝いが主になっており、
一音楽師の身分で働くことを求められたバッハは、
辞任を繰り返し申し出た。
公は怒り哮り、バッハを牢にとじこめた。
なんと4週間。日本でも最近そんなことありますね。
と、昔も今も変わらない不条理を示している。

バッハは牢の中で構想を練り、原稿楽譜を取り寄せ、
長男のための練習曲「オルガン小曲集」を書き、
また教会暦一年分、164曲のコラールを構想した。
それは46曲完成した。牢の暗がりの中で、
バッハの精神は解放されていた。
32歳、妻と4人の子どもを連れて、新しい任地ケーテンに向かった。

 

                         「バッハ」 -その13- ケーテン時代
アンハルト=ケーテン候は宗教改革者カルビンの改革派を支持する人だった。
改革派は教会の中からあらゆる飾りを取り払い、
磔のイエス像も除いた十字架だけを印とした。
音楽も簡素を旨とした。
しかし、ケーテン公の心の友は音楽で、
宮廷楽団を持ち、自ら演奏に加わるほどだつた。
音楽は人々との交流と、領国の煩雑な経営の疲れを癒すに欠かせないものだった。
1718年ケーテン候は楽団を連れて休養カルルスバートに出かけた。
そこで彼の音楽会を開いた。
ベルリンから来ていたブランデンブルク辺境伯はバッハの音楽を聴いて、
いたく感動し、バッハにいくつかの作曲を依頼した(のちのブランデンブルク協奏曲)。
1720年5月 バッハは恒例のケーテン候のカルルスバート保養に、
妻と4人の子供を残して、同行した。
7月中旬に帰国すると、子どもたちが泣きながらバッハを迎えた。
妻がなくなり、すでに葬儀と埋葬が終わっていた。
結婚生活13年間を、喜びも悲しみ分かち合って共にして来た
妻マリア・バルバラは36才の若さだった。
妻を亡くしてバッハは新しい任地を求めた。
ハンブルグの聖ヤコブ教会のオルガニスト募集に応じたが、就任に至らなかった。
この間にバッハは「ブランデンブルク協奏曲 6曲」を完成し、
1721年にブランデンブルク公に送った。

                       「小説 バッハ」-その14- 再婚
バッハは36才の時に再婚した。
アンナ・マグダレーナ・ヴュルケンは美しいソプラノを歌う20才の歌手だった。
結婚して13人の子を生んだ。彼女はバッハの良き妻であり、助手であり、
母として前の子どもにも変わらぬ愛を注いだ。

1722年バッハは妻「アンナ マグダレーナのためのクラビア小曲集」を贈った。
(それは3年後に40曲になって美しい表紙がつけられた。)
バッハの婚礼後一週間が経ってケーテン候レオポルトが結婚した。
新妻ヘンリエッタは芸術を嫌い、バッハを遠ざけるようになった。
1722年ヘンリエッタ妃は女児を出産したが、その六ヶ月後に亡くなった。
夫ケーテン公はその衝撃で沈み込んでしまい、
バッハとの仲は回復できないものになってしまった。t1                 

1722年ライプツィヒの聖トーマス教会音楽監督ヨハン クーナウが死去し、後任を募集した。6人が応募したが、彼らは退けられ、
当時ドイツで第一人者と言われたフィリップ ・テレマンと交渉した。
テレマンはライプツィヒ大学で法律を学んでいたが、
音楽への情熱が彼を動かして学生音楽団体コレギウム ムジクムを主催し学生たちに支持されていた。
また聖トマス教会のオルガニストや作曲指揮を行なっていた。 t1
ライプツィヒを知り尽くしたテレマンとの交渉は結果的にならず、
これまで候補に挙がっていなかったバッハの名前が出て来たのである。

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3.トマス教会時代

 

1723〜1850年
  1723年6月 1日 バッハの就任式が行われた。

トマス教会音楽監督

聖歌隊の少年を指導すること。
ラテン語教師を雇う時は自費で行うことなどの条件がついて、
毎日曜日の礼拝ー
聖トマス教会、聖ニコライ教会、それにライプツィヒ大学の礼拝の責任を負い、
あらかじめ定められた教会暦に配分された聖句に基づき、
カンタータを作曲し演奏する任を負った。
バッハ 38才。前妻の子7人のうち生き残った4人、
再婚したアンナ マグダレーナとの間に生まれた13人の最初の子を連れて、
これから27年間の聖トマス教会の日々がスタートした。

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カンタータの四つの形

 1合唱・シンフォニー 2.聖句朗唱 3.アリア 4.コラール

1,合唱 親しまれているコラールのメロデイをソプラノが提示し、
 合唱が時間差をつけて追いかけて語り合い、綺麗な和音に組み上げるフーガが多く用いられた。
2,聖書朗唱 (Rcitativ)福音書家などと訳されてきたか、聖書日課に定められた聖句を歌う。またはオペラの手法を取り入れ 話の進行を示ず
3,アリア(叙唱)は、オペラの自由な表現にならいテンポを変えたり、
移調を加え、最初のテーマを繰り返して終わるダ・カーポを取り入れて、
魅力的で、新しいアリアをつくりだした。
4,最後に、コラール
宗教改革を指導したマルチン ルターは、親しまれてきた民謡や、
民衆のメロディーを採りいれて讃美歌のメロディーを作り、
会衆讃歌のコラールでカンタータを締めくくった。改革以前は神父と合唱隊が歌っていた。

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新しい音楽の創造に力を与えたもう一つの要素は、歌詞の言葉の力であった。
バッハが使った歌詞は主に3人の詩であった。
その中のノイマイスターはライプツィヒ大学で神学をおさめた牧師であったが、
途中から詩作の道に入り、毎日曜の礼拝に用いるカンタータの歌詞、
7年分、350曲を印刷発行した。バッハはこの歌詞に多くを負っている。
聖トマス教会音楽監督の長期間の任務を支える力を養った。

1723~1725年のカンタータ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    バッハと教会 丸山桂介
音楽の友社

 

作曲順からわかることは、三位一体主日礼拝のカンタータに注力したことです。

一年の半分にあたる三位一体節の礼拝は1~22日曜日の「通常礼拝」にあたり、
牧師の説教の前後に15分〜20分のとても短い時間に制限された「カンタータ」を作曲するためには、
まず、3年サイクルで、毎日、旧新約聖書全64巻を通読する「教会暦」に定められた日聖書箇所を暦にメモして、読み込んで、註解書で調べ、ルター派の正統教理を踏まえ、バッハ自身の信仰と対峙し、湧き上がる魂の音楽を紡ぎだす。
バッハのカンタータは聖書朗唱で始まり、終曲の約1分のコラールを全員で歌うことを目指した。

1.カンタータのテーマは教会暦の聖句によってきまっていた。
 信仰と賛美する教育を柱にしたバッハの「カンタータ」がこの3年間に形成された。
   そのためはいくつかの技法がうみだされた。
a.同じ言葉を繰り返し追いかけ合うフーガ
b.曲の終わりから初めに戻り、一部または全曲繰り返すダ・カーポ
 15~20分というもち時間の調整に必要だった
 この3年間はカンタータ制作の形式を確立に注力した時間だったと言える。
 カンタータの時間厳守は長い礼拝の中で、牧師団との緊張関係の中からうまれた約束事だった。
通常礼拝は
三位一体節の第1主日から第23主日に行われた。

そして、一年の半分は次の特別礼拝に充てられている。
クリスマス、受難、復活祭、昇天祭、聖霊降臨祭、天使ミカエルの祝日、
    マリアの祝日(受胎告知、エリサベト訪問、浄めの祝日)、
    ライプツィヒ市参事会会員交替式、結婚、記念、葬儀

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音楽の捧げもの  フーガの技法
    長男フリーデマンは大学で法律を学ぶことをやめて、ドレスデンのゾフィー教会オルガニストになった。14年後、ハレのマルクト教会に転じた。次男のフィリップ エマヌエルも法律から音楽に転向し、26歳でベルリンのフリードリヒ大王の宮廷楽団に就職し、大王のフルート演奏の伴奏をした。彼は父を大王にひきあわせようと願って、度々父の話をしていた。ようやく、重い腰を上げたバッハは長男についてきてもらい、大王との会見が実現した。
1日目の夕べはバッハのプログラムで充実した時を過ごした。
翌日、大王は自分の提出するテーマで演奏してほしいと注文した。バッハは弾いた。大王はさらに、これを即興で六つのフーガにして、演奏するように言った。バッハは即興ではできないと断り、大王との会見は終了した。
 バッハは家に帰るとすぐに宿題に取り掛かり、「音楽のささげもの」と題して、大王に献上した。さらに未完成となった「フーガの技法」で同じテーマが展開されている。この時の会見の断片がYoutubeにありました。
ことらよりどうぞ。6分くらいです。
⇒ 「バッハ フリードリッヒ大王に会う
 
晩年のバッハ
子どもたちが大きくなると 楽しんできた家庭演奏会は難しくなった。子どもの中にバッハの音楽を古いと嫌う子がいたり、反抗期を過ごす子もいた。やがて長男、次男が巣立ち、多くの人が経験する孤独を人並みに味わった。
前回に取り上げたベルリンのフリードリヒ大王との会見は大きな出来事だった。そこから生まれた「音楽の捧げもの」また未完とはなったが後世に残る「フーガの技法」も偉大な作品と、後世に評価されている。
この「フーガの技法」の途中でバッハは目が見えなくなって、著名なイギリス人眼科医に手術をしてもらった。結果は視力を回復できなかった。
2回目にきてもらった時には神経が痛んでいるのでこれ以上はできないという 結論だった。それでもバッハは後に「フーガの技法」と呼ばれる作品の続きを口づてに書き続けた。頭の中には完成の構図があったのでしょう。
バツハの死と楽譜は、「小説バツハ」によると、

バッハが息を引き取ると、住み慣れた住居と仕事場の明け渡しが待っていて、
妻アンナ・マグダレーナは悲しみに打ちひしがれて対応に大変だったようです。
ある人が肉屋でバッハの楽譜が包み紙に使うために大量に積み上げられているのを見て、まとめて買い取ったそうです。
 私も三回引っ越しを経験し、その騒動を理解できる気がしました。多分、1723年から3年分はしっかり保存されて、あとは手放して
ほとんど散逸し、失われ、時間をかけて集められたものが加えられて、カンタータに関しては現在200曲残っている。一年50週として27年は1350回の日曜日に演奏したとして、
残っている楽譜が非常に少ないことが、わかる。
そして、なおこの現存200曲でもバッハの真髄を十分表していると思われます。
バッハ復活
バッハの死後、彼は作品とともに忘れ去られた。メンデルスゾーンやベートーヴェンが高く評価していたことは知られている。
マタイ受難曲 初演から100年の記念
ところが、1829年3月11日、メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を、初演から100年を記念し、ベルリンで再演して、マタイ受難曲は驚きを持って世界に知られることになった。「小説バッハ」の著者は「不滅の生命は、一度墓の下に葬られなければならない」と言っている。長い年月をかけて、楽譜の収集がなされてBWV(バッハ作品番号)がつけられた。その版権(旧バッハ全集の)が切れて、カナダの大学生がパブリックドメインの版権フリーでネットに公開し、多くの人に提供しようとした。
ところが、版権の期限が違うヨーロッパの音楽業者から2週間以内に削除を求める訴訟を起こされ、当学生はそこまで想定できなくてノイローゼ状態に陥った。
けれども、彼の趣旨を受けた人たちが協力して、バッハの楽譜、また様々な議論、演奏をネット上で公開するシステムを作り上げて今日に至っている。 a6

BCW(バッハ カンタータ ウェブサイト)  https://www.bach-cantatas.com
このネットワークの進展によって、バッハはどのように受け取られ、理解されて、新しい時代を開いていくのかと期待がふくらんでいます

 

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作曲順に見る全 カンタータ200曲

 
作曲順   曲名        BWV     初演   教会暦
曲順   曲名        BWV     初演   教会暦
1-100       薄青色の文字をクリックしてください。
101-200      薄青色の文字をクリックしてください。
 

1707年 ワイマール宮廷音楽師時代

深き淵より、主よ、                 131       17070000       復1
神の時は最良の時                    106        17070810     三19
3  わが魂主を讃えよ                    143        17080000     復2

1708年
神はわが王                              71         17080204        三16
キリストは死の縄目に      4   17080400   三16
6  主はわれらをみ心にとめ    198   17080605   三4
われはどこに逃れるべきか    5   17080605   三7

1710年
主を仰ぎ望む         150   17100000   三6

1713年
天から雪降り雨下り      18   17130219  マリア 
10 わたしは心に多くの悩み     21   17131200   昇

1714年
11 いざ、罪に抗すべき       54   17140304   復3
12 天の王よようこそ来ませ     182   17140325   顕2
13 泣き、嘆き、憂い、恐れ     12   17140422   顕6
14 響きわたれ、なが歌よ         174   17140720     降3
15 いざ来ませ異邦人の救い主           61   17141202   新年
16 キリスト者予、この日を刻め    63   17141225   三14
17 出で立て、信仰の道に     154      17141230   復8

1715年
18 天は笑い、地は歓呼する             31   17150421 ミカエル
19 おお、聖なる洗礼よ      167   17150616   三1
20 ひとはそれぞれ分に応じて   165   17151124   三1
21 道を備え、大路をつくれ    132   17151222   復前7

1716年
22 来ませ甘き死の時よ      163   17160927   復7

1719年 ケーテン宮廷音楽師時代
23 婚礼に行こうとする今     164   17191025   三4

1723年  トマス教会
24 今や、われらの神の救いと    50   17230000  受胎
25 すべての人々神に感謝     194    17230000  5聖02
26 イエス12弟子をよびよせて    22     17230207  三14
27 まことの神ダビデの子               23   17230207  三24
28 貧しきものは食せられ     75   17230530   三6
29 天は神の栄光を語る      76   17230606   三7
30 永遠の愛の慈悲ふかき心    187  17230620   降1
31 全ての人よ神の愛をたたえよ  169  17230624  市参事会
32 飾りなき心こそ          24  17230626  ヨハネ
33 心と口と行いと命もて     147   17230702  復1
34 魂よ、おごることなかれ    186   17230711  顕1
35 神よ、我を調べ        136   17230718  三13
36 主よ、裁かないでください   105   17230725  三祭
37 こんな苦しみがあるか       46   17230801  三12
38 わが魂よ、主をたたえよ      69    17230808  待1
39 心せよ、汝の敬神       181   17230808   昇
40 わが心 血の海に泳ぐ     199   17230808   三21
41 主なる神を愛せよ         77   17230822   三1
42 あなたの怒りによって        25   17230829   降2
43 エルサレムよ、主をたたえよ   119   17230830  三21
44 なぜ悲しむのか         138   17230905  新年
45 キリストこそわが命       95   172309  12
46 御名にふさわしい栄光を      148   17230919  復1
47 皆にふさわしい栄光を ?     150   17230919  昇天
48 悩めるわれをこの死より     48   17231003  聖前
49 われ信ず、尊き主よ         109   17231017   三8
50 いかにすべきかエフライムを    89   17231024    三10
51 待ち望んだ喜びの祝い       196  17231102  新年
52 おお永遠、雷の言葉        60    17231107  三17
53 怖ろしい終わり汝らを引きさらう  90    17231114  三19
54 目を覚まして祈れ         70   17231121  三20
55 神の子が現れたのは        40    17231226 ミカエル
56 見よ、父のたまいし愛の 64 17231227 顕2

1724年
57 主にむかって新しい歌を歌え 192 17240101 三17
58 見よ、いかに敵どもの 155 17240102 三23
59 シェバの人々みな来たり 65 17240106
60 わがイエスは見失われた 156 17240109 復前3
61 みこころのままになしてください 73 17240123 三22
62 イエスは眠りてもう 81 17240130 三19
63 喜び満ちる新しい契約の時 83 17240202 降誕2
64 自分のものをもって行け 144 17240206 新年1
65 軽薄な精神の者ども 183 17240213 聖1
66 喜べ、よろずの民よ 66 17240410 三24
67 イエスが生きていると知る心 134 17240411 待1
68 死人のなかからよみがえったイエス 67 17240416 待1
69 どこに行くのか 168 17240507 降誕1
70 まことに、あなた方に言う 86 17240514 降誕3
71 信じて洗礼を受ける者は 37 17240518 顕現
72 人々あなた方を除名すべき 44 17240521 復活2
73 人もし我を愛さば 59 17240528 復活1
74 高められた血と肉よ 175 17240529 聖霊2
75 待ち焦がれた喜びの光よ 186 17240530 5聖12
76 おお永遠、雷のことば 20 17240611 待降2
77 神よ、天より見て 2 17240618 参事会
78 われらの主キリストはヨルダン川に来たり 7 17240624 顕現3
79 主よ、哀れな罪びと私を 135 17240625 顕現3
80 わがこころ主をあがめ 10 17240702 聖霊1
81 尊き神のなさるごとくに 93 17240709 三1
82 なぜ悲しみうなだれるのか 107 17240723 三2
83 主なる神がそばにいなければ 180 17240730 三13
84 この世がなんなのか  94 17240806 三14
85 われらから取り去ってください 101 17240813 宗改
86 主イエスキリストこよなき宝 113 17240820 宗改
87 ただあなたのみ主イエス 33 17240903 マリア 
88 イエス、わが魂を 78 17240910 降誕1
89 神のなすことよきこと 99 17240917 マリア 
90 愛する神私はいつ死ぬのでしょうか 8 17240924 マリア 
91 主なる神、われらこぞって 130 17240929 復前9
92 いとしいキリスト者雄々しくあれ 114 17241001 復活2
93 主キリスト、神の一人子 96 17241008 復5
94 魂よ自分を飾れ 182 17241022 復活5
95 深いなやみの淵より 38 17241029 三5
96 神はかたき砦 80 17241031 三22
97 そなえよわが魂 115 17241105 三25
98 幸いなるかな、自分の神に 139 17241112 降誕1
99 人の命はいかに儚く    26 17241119 復前9
100 平和の君、主イエス 116 17241126 三5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

101 今こそ来ませ異邦の救い主     62 17241203  三9
102 賛美を受けてください       91  17241225 三16
103 キリストをほめ歌う        121  17241226 三18
104 主にあって喜び 133 17241227
1725年
105 新たに生まれた幼子 122 17241231 三21
1725年
106 喜び高く舞い上がれ 36 17250000 三15
106 イエスよいま賛美を受けたまえ 41 17250101 ?
107 私はイエスを離さない 124 17250107 三10
108 尊きインマヌエル正しいものを導き 123 17250116 三10
109 み心が常になされますように 111 17250121 三9
110 神の御心によりて    92 17250128 葬儀
111 平和に喜んではせ行く  125 17250202 三7
112 主よ、み言葉のもとに我らを 126 17250203 復7
113 イエスキリスト真の人なる神 127 17250211 三21
114 輝きいでる明けの星  1 17250325 降誕1
115 泊りませ 6 17250402 顕現3
116 この同じ安息の日の夕べ 42 17250408 復活2
117 わたしは良い牧舎である 85 17250415 三11
118 私が去るのはあなた方の益 108 17250429 三7
119 我らの口に笑いが満ちる 110 17250429 三22
120 今までわが名によって 87 17250506 三25
121 たたせキリストの昇天のみ 128 17250510 ?
122 人々あなた方を除名すべき 185 17250513 葬儀?
123 私を愛する者、私の言葉を守る 74 17250520 参事会
124 神はかくまで世を愛し 68 17250521 参事会
125 彼は自分の人づの名を呼んで 177 17250522 降誕2
126 たかぶり且つ臆するのは 178 17250527 降誕1
127 報告を出せということば 170 17250729 顕現
128 主をほめよ、栄光の王を 137 17250819 顕現1
129 キリスト者を名のる者たち 166 17250826 マリア
130 主なる神は太陽、また盾 79 17251031 復前8
131 ほむべきかな、今や年は終わり 28 17251230 復前7
1726年132 主なる神、あなたを称えん 16 17260101 昇天
133 尊いイエス、わが憧れ 32 17260113 三一
134 ああ、神よ多くの思い煩いが  3 17260120 ミカエル
135 ため息も涙も数えきれない 13 17260120 悔改
136 すべては神のみ心のままに 72 17260127 待降4
137 多くの患難を経て 146 17260512 降誕3
138 神は喜び叫ぶ声と共に 43 17260530 復活3
139 主をほめまつれ 129 17260616 三3
140 パンを飢えた人に 39 17260623 三8
141 見よ、私は多くの漁師を送る 88 17260721 三12
142 満ち足りた安らぎ 172 17260728 三15
143 彼らあなたを待ち望む 189 17260804 三23
144 人よ何が善いことか   45 17260811 三27
145 主よ、あなたは信仰を見たのでは 102 17260825
146 霊と心は驚き惑う 35 17260908
147 感謝の供え物をささげる者は 17 17260922 新年
148 かくて戦いが起こり 19 17260929 復前9
149 終わりの時を誰が知る  27 17261006 復活3
150 自分を高くする者は、低くされる 47 17261013 復活3
151 神にのみわが心ささげん 171 17261020 マリア
152 喜んで十字架を負おう 56 17261027 三17
153 行ってあなたを慕いもとめる 49 17261103 ミカエル
154 神の業こそ善いものである 98 17261110 三一17
155 わたしはあわれな罪の僕 55 17261117 ミカエル
156 偽りの世をわたしは信頼ない 52 17261124 葬儀
157 試練に耐える人は幸いである 57 17261226 降誕3
158 甘き慰め、イエス来ませ 153 17261227 降誕1
1727年
159 神よなんと多い胸の悩み 58 17270105 新年
160 われは足れり 82 17270202 顕現1
161 あなたが私を祝福しなければ 157 17270206 追悼
162 あなたが祝福しなければ 159 17270206 顕現3
163 私は満ち足りている 84 17270209 葬儀
164 シオンの門よヤコブのすますを喜べ 195 17270825 復活3
165 候妃よ、なお一条の光を 200 17271017 復前7
1728年
166 賛美と栄光いと高き方に 117 17280000
167 見よ、讃美はシオンにて 120 17280000 三16
168 私はより頼む私を 190 17281017 三一20
1729年
169 神よあなたの誉は御名のごとく 173
1729年
101 三一23
170 わが片足墓穴につき 158 17290123 三一13
171 見よ、われらエレサレムに 161 17290227 三一
172 私は生きる、わが心よ 145 17290419 復活4
173 わたしはいと高きものを愛し 176 17290606 ヨハネ
174 勝利の喜びが歌われる 151 17290929 三9
1730年
175 主はよき羊飼い 112 17300408 三18
176 全地よ、神をほめよ 51 17300917 三6
1731年
177 われらあなたに感謝す 29 17310827 新年
178 起きよと呼ぶ声 140 17311125 聖祭1
1732年
179 私は呼ばわる 主イエスキリスト 179 17320706 聖祭2
180 われらに救いが来たのは 9 17320720 参事
1734年
181 神がなすことこそ善いものである 100 17340000 三2
182 私がなす全てに 97 17340725 聖祭3
1735年
183 平安があるように 160 17350000 三01
184 この時神がいまさずば 14 17350130 三4
185 神をほめよ 11 17350519 三8
1736年
186 イエスキリストわが命の光 118 17360000 三11

1738年
187 神はわれらの堅き望みである 199 17370000 三20
1738年1738年
188 喜べ、あがなわれた者よ 30 17380624 譜前8
1739年
189 おお永遠の火、愛の源よ 34 17400000 ?
1740年
190 わたしは御名を言い表そう 200 17420000 棕櫚
1742年
1745年191 光は正しいもののために 197 17450000 復活61745年
192 いとたかきところでは神に栄光 193 17451225 聖祭3
以下不明
不明
193 喜びと勝利の歌声は 149 不明 三節
194 あなたは私の魂を 15 結婚
195 ない 53 結婚
196 141 結婚
197 142 追悼
198 ? 162 三11
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   
   

 

 

 

 

 

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祝祭曲   クリスマス、受難曲、復活祭、昇天祭など。

BWV249 クリスマス・オラトリオ

BWV224マタイ受難曲

BWV249 復活祭オラトリオ 

1723年クリスマス期の1月6日まで六つの礼拝で演奏された。イエス様の誕生物語を 全64曲、誕生から東の博士たちのお祝いまで、6つの礼拝で演奏した。登場人物:父ヨセフ、母マリア、天使、羊飼いと羊。東の博士たちは、はるばる旅をし、たどり着いた。黄金、乳香、没薬の超高級な贈り物をささげた話など。幼児イエスの誕生によって始まるイエス伝の音楽。

 

福音書記者マタイはイエスの受難の物語を、ベタニヤ村で一人の女が高価な香油をイエスの頭に注いで、別れの意をあらわした一件から始め、最後の晩餐をすませて、ゲッセマネの園で苦しみ祈るイエスを歌います。
物語は当時のトマス教会の会衆を「娘たち」とみなし「来れ娘たちよ」共にー十字架上で苦しむイエスを思いー嘆け、見よー誰を、花婿を。何をー犠牲の小羊なるイエスの、忍耐を。と歌う
復活祭三日前に十字架に死に、遺体を納めたお墓に、イエスがいないと言う知らせを聞いて、二人の弟子が確かめに行くメランコリックアダージョで、その時の気分を、あらわしている。第3曲合唱、「はやく走れ、イエスを納めたお墓に」追いかけるフーガ形式、女声ソプラノとアルトが加わって4声合唱になる。夜明けの明るみのに包まれて、2人の弟子が着き、先に来ていた女たちに合流する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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