音楽な人たち
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合 唱 団
は当日は行けなかったが、)記憶に残る一件でした。
進展を遂げている。統一時、ソ連時代の密告告発=シュタージでヨアヒム・ロッチェが告発されたという ニュースを紀伊國屋書店の音楽雑誌立ち読みで見つけて大変驚いた。東ドイツ共産党時代のキリスト教 冷遇と共に心が痛んだ。 旧ゲヴァントハウス楽団ホールで、そこは共産党の歴史展示室になっていて、共産党の偉業をあれこれと 展示している中にヨアヒム・ロッチェとトマナコアの日本公演の写真があった。 係のおばちゃんにこの人日本公演に来ていたというと、よう言ってくれたと言わんばかりに、 ソーメン流しのように何事かをしゃべり始めたが、わたしには一言もわからなかった。
失われたものを取り戻すかのように、バッハに対する敬意と愛情を子供たちに丁寧に熱心に伝えていた。 わたしの最も心惹かれる人物でした。、そしてコロナ禍の渦中にスイス出身のアンドレアス・ライゼが 第18代カントールに就任した。教会音楽を修め、少年合唱団を指揮していた若き俊才。 トマナコアは新時代を先駆けているように思われる。 衝撃を持って体験された。 (https://www.thomanerchor.de 思い出と歴史) しかし、webを用いて世界各地との合唱の試みがなされたり、観客のいない、出演者が密を避けて、 少人数で距離をとっての演奏など。工夫が見られた。観客が多ければ成功という評価は減少し、 心に残る演奏が評価されるようになる。 出来ると喜んでいる。 ベルリンの少年合唱団も参加していた。 楽器はこれまでゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが演奏してきたが、 積極的に若手を起用していた。受難曲の劇的要素が強調され、テンポも一段と速く感じられた。 特に、各部分の話を締めくくるコラールは会衆賛歌のゆったりした、テンポ60くらいの心に染みて共有する音楽が 伝統的であったが、さらっと終わって肩透かしのような気分がした。コロナ禍はまだしばらく続くようだが、 この流れは音楽を寛容にしたと思う。新しい何かが生まれつつあるようだ。
著名な卒業生はカール・リヒター、テオ・アダムス、ペーター・シュライアーなどがいる。
モーツァルト、サリエリ、フルーツクナーが共演し、シューベルトは合唱団員だった。(wikipedia) 組織され、少年200人が4つのグループに分かれて活動している。(wikipedia)1986年初来日。 「バイエルンの天使」たらさわみちの漫画。 |
合唱できるか?相当悩んだが、5年やってみて、人工知能の学習能力は奥深く、崇高なものがある。 ある特定の人の声をベースに作っている歌声は特色があって個別には好き嫌いがあるかもしれないが、 合唱は個性を生かして美しい一つの声にし、その4声を一つの美しい声に仕上げていく。 その過程を人工知能CeViO aiも十分取り組んでくれて、美しい曲を醸し出している。 さらに、わたしの印象では、出来上がった音楽ファイルmp3 もなんだか時と共に進化しているように思えるのは 錯覚なのかもしれないが、時間を置いて聴いても、よくなって、感動を呼んでいる。 なによりも、肉体は老化しても、精神は若くなりうるという感触を受けている。
考え方が変わった話をしていた。喉を震わせて歌うビブラートをしない、ノンビブラート発声についてだった。 わたしが最近使っているaiによるチエビオキャラクターの発声の多くはビブラートの音域を電子的にカット しているように思っている。そして、ノンビブラートのその声に慣れてくると、 ビブラートに対する違和感を感じるようになってきた。 また変声前の少年合唱団のソプラノたちはビブラートをしない。
ビブラートを使って発声するようになったのではないか、とわたしは推測している。 しかし、バッハをはじめとする音楽は初演された当時の楽器で歌う潮流となり、 教会や中規模の会場で演奏する流れができつつある。 そして、あっという間に楽器もピリオド楽器=古楽器に変わってしまった。 そのようなわけで、ドロテー・ミルズさんは新しい道を見つけて歩んでいる。 |