参事会会員交替式

     参事会会員交替式
 
  ミュールハウゼン市とライプツィヒ市の参事会会員交代式の楽譜が残っている
  69 わが魂よ主をたたえよ1725年8月15日 初演
1748年8月26日
マルコ7:31-37 耳の聞こえない者の癒し
2コリント3:4-11
パート譜で残っていた楽譜をバッハは晩年に改作し1748年の参市参事会員新任式の礼拝で演奏した。わが魂よ主をたたえよ BWV69 全6曲
参事会員新任式
1.合唱
2.朗唱 ソプラノ
3.アリア アルト
4.朗唱 テノール
5.アリア バス
6.コラール 合唱1.合唱
わが魂よ主をたたえよ
主があたえたすべての恵みを忘れるな。(詩編103:2)
  71 神はわが王ダビデは40才になった息子アブサロムの裏切りにあい、亡命生活をしていた頃、ダビデを匿ってくれた富裕なバルジライに助けられた。やがてアブサロムが戦死し、エルサレムに帰還する時が来た。ダビデは大変世話になったバルジライを連れて帰り一緒に住もうと言った。しかし、「バルシライはわたしはもう80歳になります。父母の墓のそばで暮らしたいのです。自分の代わりに息子をを連れ行ってくださいと言って固辞した。」サムエル記下 19:33-38
このエピソードをバッハは本曲BWV 71「神はわが王」の第2曲に取り入れた。
バッハは、1702年、22才の12月に、ミュールハウゼン市ブラウジス教会オルガニストの任命を受けた。ところが、その三日後に400軒が被災する大火が起こり、しかも市長宅のモルタル塗りの屋根から出火した。三つある教会の二つも被害を受けた。その渦中にバッハは結婚したばかりの妻と引っ越してきた。大変な年明けとなり、2月4日に市の新参事会員の就任式が行われた。このために「神はわが王」BWV 71を作曲、演奏した。初仕事でした。バッハは次のように作曲した。
第1曲テーマ「神はわが王」 神の意を受けた神聖ローマ帝国直轄自由都市 ミュールハウゼンの行政を司る 46人の参事の中の12人と 2人の市長 (1人は副市長)が 一年任期の交替で就任する。その就任式の祝祭カンタータです。大火の後で復興計画もままならぬこの時に、就任式は延期にはせず、被災しなかった3番目の教会で行われました。
第2曲の歌詞を、今日の言葉、ダビデの話の一節から、ダビデの苦境を助けたバルシライの言葉を歌い、そのままミュールハウゼン市の火災に対処した、高齢の参事官の苦労に感謝を表しています。
祝祭は壮大な曲によって活気に満ちた。楽器が、3トランペット ティンパニ 2フルート 3弦 2オーボエ、ファゴット 2フルートとチェロ、オルガン それに4声部の合唱。これほど大規模なバッハの祝祭カンタータはほかにないそうです。
最後の第7曲 合唱
「新しい治世に それぞれの道で祝福の王冠あれ。安心、平和、福祉に常に満たされ、
幸福、救済がなされ、治世が守られるように。新しい治世に 喜び、救い、偉大な勝利がありますように。国中の町や村にも、日々新たにヨゼフ王※が喜ばれんことを。」
  119エルサレムよ主をほめよバッハの仕事は毎日曜日の礼拝にカンタータを演奏することだった。トマス教会は朝、昼、夕3回の礼拝があり、50メートルばかり離れた隣のニコライ教会の礼拝に少年の中から指揮者と数人を選んで送り、またライプツィヒ大学教会の式典などの責任があった。
通常の礼拝は年間50回ほどあり、そのほかにクリスマス、受難、復活、聖霊降臨、宗教改革記念日、マリアの祝日、大天使ミカエルの祝日、それに結婚式、葬儀などの祝祭カンタータがあり、祝祭はフルオーケストラがついた。
  193シオンの門よヤコブの住まいを

   
   
   
   

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