さんびか

               

さんびか
全55曲

  



目次 index


こどもさんびか
クリスマス 受難と復活 なつかしいさんびか

視聴率トップは「おほしがひかる」でした。戦後楽しみの少ない時代に教会学校にかよったころ。よい想い出がうかんでくるのでしょう。


なんといっても、よろこびとたのしさをはこんでくれるクリスマス世界の民謡とともに歌い継がれてきました。


復活したイエスは夢と希望をあたえ現実をかえてくれる。人の心にある再生の願望と直結している。


だれかと共に歌って讃美歌です。うたはその瞬間を呼び覚まし、魂を元気にしてくれます。

讃美歌21 ドイツミサ9 賛   歌 私作・試作

格調高い古文調がなくなり、現代のことばにかわり、ものたりないという人がいます。人と人の関係がゆるくなりそれが日本語になっているからでしょうか。


シューベルトが自国のドイツ語でつくった曲。やさしさと情感あふれるうたは多くの人に歌い継がれてきた。


オラトリオやオペラに挿入され絶賛を浴びたアリアなどを独立させて親しまれている。


ヘルマンヘッセの詩によせて四曲、これから新しいものを作ってみたいとおもっています。


   
1.こどもさんびか  7曲

              こどもさんびか

視聴率トップは「おほしがひかる」でした。こどもさんびかは人気です。戦後楽しみの少ない時代に教会学校にかよったころ。よい想い出がうかんでくる。

おほしがひかる ちいさいひつじが われらはきたりぬ きよいあさあけて
かみさまにかんしゃ ことりたちは おはようマリア あらののはてに

             

クリスマス           
よろこびとたのしさをはこんでくれる

      クリスマス世界の民謡とともに歌い継がれてきました


きよしこのよる 109
ダビデの村の 469
あらののはてに 106

もろびとこぞりて  112
羊飼い群れを守る夜に 21_251 もろびとこえあげ 102

3.
受難と復活  3曲                     

受難と復活

                           復活したイエスは夢と希望をあたえ現実をかえてくれる。
                                         人の心にある再生の願望と直結している。

あくまのしばし150

ろずのたみ151番
 
すべての民よろこべ21_327

4.なつかしいさんびか8曲             

なつかしい讃美歌 讃美歌1と讃美歌Ⅱ

だれかと共に歌って讃美歌です。
うたはその瞬間を呼び覚まし、魂を元気にしてくれます。

わが主のみまえに 山路こえて いつくしみふかき   おもえばむかし
 力の主を 春のあした  つとめいそしめ くしき主の光

5.讃美歌21  5曲

            讃美歌21                        

21世紀を迎えて、未来志向の讃美歌が作られた。


神の恵み豊かに受け

主われを愛す

主の食卓を囲み

喜ばしい声ひびかせ

われらを導く

 




6.ドイツ ミサ 9                  ドイツミサ                                                                                

 シューベルトが自国のドイツ語でつくった曲。
やさしさと情感あふれるうたは多くの人に歌い継がれてきた。


1.悩みのときに

2.栄光神に

3.世界のはじめに
4.ああ主はみことばと
5.聖なるかな

6.み弟子らにかこまれ

7.主のみことばは

8.主はわが祈りに

9.主のみいつのまえに

※全9曲讃美歌二編、すばらしい田中彰寛訳 




歌 8き

賛  歌

                 オラトリオやオペラに挿入され絶賛を浴びたアリアなどを
独立させて親しまれている。


わかきわれらは

新しき歌もて 詩編98

主を信じて死に行く人は

進めわが同胞よ

うるわしの白百合

主よわれらを祝し

オンブラマイフ

涙して種まく人は

8.私作、試作 4曲                                


ヘルマンヘッセの詩によせて
 


花に水を
     
段 階

耳を澄まして
     
春のことば

大天使ミカエルの祝日


🔥大天使ミカエルの祝日  10月最後の日曜日

 JSバッハは1723年に聖トマス教会音楽監督に就任して、亡くなる1850年まで27年間 毎日曜の礼拝で30分ほど、通常の教会暦に記された聖書日課にしたがって礼拝音楽を作曲しました。また、クリスマス、受難節、復活祭の祝祭礼拝にはトランペットとティンパニが加わって、祝祭音楽礼拝となりました。この祝祭にはマリアの祝日、そして今日の大天使ミカエルの祝祭がくわわっています。
バッハは、この27年間に27回この祝日を迎えたはずですが、しかし、楽譜として残っている大天使ミカエルの祝日は4曲だけが残っています。演奏順に並べて、この記念日を考えてみたいとおもいました。

1.BWV130 主なる神をたたえ
1714年9月29日初演 大天使ミカエルの祝日
ヨハネ黙示録12:7-12 マタイ福音書18:1-11
最後の審判の時の戦いで、龍(サタン)を天から地へ投げ落として
勝利する大天使ミカエルの祝日は、古代の異教的な秋分の祭りりを引き継ぐものである。
この日の戦いに3本のトランペットとティンパニが用いられ派手な祝祭音楽となっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2.BWV50 今や、我らの神の救いと力と支配は
1723年 ミカエルの祝日
ヨハネ黙示録12:7-12 マタイ18:1-11
「今や、我らの神の救いと力と支配は、神のキリストのものとなった。
我らの兄弟たちを告発した者、昼も夜も我らの神の前で彼らを告発した者が、
投げ落とされたからである。」黙示録12:7-12
大天使ミカエルの祝日でバッハが演奏した曲は 四回あり、この聖句は1723年の礼拝で用いられた。
ほかに福音書よりのマタイ18:1-11が読まれた。
この二つの聖句をもとにバッハは説教前に数曲、説教後に数曲を 作曲演奏したと推定される。この1曲だけが残存し、愛唱されている。
参考書 「バッハと教会」聖トーマス、聖ニコライ教会のペリコーペ
とバッハのカンタータ」  音楽の友社 丸山圭介 1989

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3.BWV19 かくて戦いが起こり
1726年9月29日 聖ミカエル祭
マタイ18:1-11 ヨハネ黙示録12:7-12
歌詞 ピカンダー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4.BWV149 勝利の喜びが歌われる
1728年 大天使ミカエルの祝日初演
マタイ 18:1-11 黙示録 12:7-12
歌詞作者ピカンダーは1728年に1年分のカンタータ詞集を出版した。
この中に60の歌詞が収められている。バッハはその中の7曲を歌詞に採用した。
本曲は1728年のミカエルの祝日に作曲初演されたと考えられる。
(バッハカンタータCD全集H.Rilling)

🥕 🧄 🌽 🧅 🍞 🍦 🍡 🍺 🥣 🛳️ 🪆 📒  🥕 🧄 🌽 🧅 🍞 🍦 🍡 🍺 🥣 🛳️ 🪆 📒

カンタータ 歌詞について

BWVブログ 歌詞作者 論文より  

小島芙美子 東京藝術大学 古楽研究科(バロック声楽)博士論文
J.S.バッハのカンタータBWV51とBWV199における技工的・劇的表現を巡ってー当時の女性ソプラノ歌手の活躍の観点からー

歌詞作者

ソロ・カンタータ・ソプラノ. 5曲
BWV199,52,82,84,51
199♪は、ワイマール、ケーテン,ライプツィヒで計4回再演されている。
BWV82は1727年来6回の再演が行われている。

ソロ・カンタータ・アルト 5曲
BWV35 54 82 169 170
ソロ・カンタータ・テノール 1曲のみ
BWV55
ソロ・カンタータ・バス
BWV56 82
ワイマール時代(1708-1717)
毎週のカンタータ作成は,福音書と使徒書簡の聖句に添った台本を手元に準備することから始めた。台本作者が確認できるのはBWV199Gottesfaliges Kirchen-opffer」(1717)
BWV84の歌詞はピカンダーChristian Friedrich HenriciPicander(1700-1764)「1年分の日曜・祝日のためのカンタータ集」上記BWV199,52,84,51は16世紀、17世紀に作られたコラール歌詞が含まれている。
(1728)
レームスの詩 10曲
BWV13,16,32,35,54,110,151,170,199,57
ーーーーーー

BWVブログ 歌詞作者 論文より 小島芙美子 東京藝術大学 古楽研究科(バロック声楽)博士論文 J.S.バッハのカンタータBWV51とBWV199における技工的・劇的表現を巡ってー当時の女性ソプラノ歌手の活躍の観点からー 歌詞作者 ソプラノ.ソロ・カンタータ 5曲 BWV199,52,82,84,51 199♪は、ワイマール、ケーテン,ライプツィヒで計4回再演されている。 BWV82は1727年来6回の再演が行われている。

コラール 歌詞の起源

コラールの歌詞の起源  A.シュヴァイツアー

「コラール歌詞の起源」は、BachCantata Website(バッハ カンタータ ウェブサイト)」に掲載されたA.シュヴァイツアーの論文(1908)です。キリスト教の初期からバッハの時代まで、讃美歌の歌詞の歴史を記したものです。ドイツ語で書かれたものをGoogle翻訳を利用して、私の理解のために要約したものです。

目次
1. 宗教改革以前の讃美歌
2. 最も古いイースターの讃美歌は12世紀までさかのぼる
3.14世紀と15世紀にそのような広まりを見せた神秘劇も、ドイツの讃美歌の受容を助けた。
4. 16世紀の改革は教会の扉をドイツの詩に開放した。
5. 最初のドイツの讃美歌集 宗教改革以降
6. ルターによる讃美歌
7. 前の時代からの遺産を継承発展する時期から創作へ

 

1.宗教改革以前の讃美歌
初期のキリスト教会では、イエスが弟子たちと賛美の歌を歌っていた。(ユダヤ教の)
初期のカトリック教会では会衆が礼拝中に歌に直接参加するのが習慣でした。その時、頌栄、アーメン、キリエ、そして讃美歌を歌っていました。6世紀の終わりと7世紀の初めにはアンブロシウスによって会衆が参加するようになっていた。
しかし、グレゴリウスの改革によって、讃美歌は会衆を代表して司祭が歌うようになりました。 (僧侶がお経を読むように)
ところが、ドイツでは、この改革は完全には実行されませんでした。彼らがキリエとアレルヤを歌う時、ドイツ語の詩を入れる習慣になりました。ドイツの讃美歌は礼拝奉仕の役割を獲得しました。こうして教会で歌われるすべての讃美歌の終わりのオブリガートを形成しました。これらの曲は「キリエの曲(Kirleisen)」と呼ばれていました。

2.最も古いイースター讃美歌は12世紀までさかのぼります。

「キリストは死からよみがえられた ハレルヤ
慰められるキリストを われらはみな喜びまつる キリエライス」

3.14世紀と15世紀にそのような広まりを見せた神秘劇も、ドイツの讃美歌の受容を助けた。ラテン語とドイツ語が混在するクリスマスのゆりかごの歌には、非常に珍しい魅力があります。それらの詩は、想像できる最も原始的な種類のものです。言葉は、音や揺れるリズムよりも感覚的にまとめられています。それでも、彼らを取り巻く明るいクリスマスの魅力は、消えてしまった世代と同じように私たちに影響を与えます。

バッハのオルガンコラールには、これらの古いクリスマスソングが2つあります。

dulci jubiloでは、
Nun singet und seidfroh。
Unsers Herzens Wonne
Liegt in praesepio、
Und leuchtet als die Sonne
Matris ingremio。
Alpha et O、Alpha et O.(V、Nr。35。)Puer natus in Bethlehem、 In Bethlehem、 Unde gaudet Jerusalem、 Jerusalem。 ハレルヤ、ハレルヤ。 Ein Kind geborn zu Bethlehem、 Zu Bethlehem、 Des freuetsichエルサレム。 ハレルヤ、ハレルヤ。 Cognovit bos et asinus、 Asinus、 Quod Puer erat Dominus、 Dominus。 ハレウジャ、ハレルヤ。 Das Ochslein und das Eselein、 Eselein、 Erkannten Gott den Herren sein、

ハレルヤ、ハレルヤ。 (V46)
やがて、ラテン語の讃美歌はドイツ語に翻訳され神聖な詩として受け入れられた。クレドー信仰告白箇条、十戒、十字架上の七つの言葉、また様々な詩篇も讃美歌の歌詞に組み込まれました。

4.16世紀の改革は教会の扉をドイツの詩に開放した。
14世紀と15世紀のラテン語の讃美歌、詩篇、典礼の聖歌、聖書の断片は新しい教会のために修正し、変更し、改善し、新しい讃美歌に作り直された。

5.最初のドイツの讃美歌集 宗教改革以降
1524年に
新しい讃美歌(Erfurt Enchiridion)が出版された。その26曲の中には、詩篇の8つのドイツ語訳がある。これには、詩篇130「深い淵からあなたを呼ぶ」(BWV131)など一連の讃美歌、2つのイースター讃美歌が含まれています。「キリストは死の縄目につかれた」(BWV4)と「死に勝利した我らの救い主イエスキリスト」、10戒の古い讃美歌、Paul Speratusによる3つの讃美歌、有名な「救いはわれらに来たり)」など。

A 中世の聖歌
(1)イースターの讃美歌 「キリストはよみがえられた」
キリストは死の縄目につき(カンタータBWV 4)
ラテン語の讃美歌、詩篇、典礼の聖歌、聖書の断片。
(2)クリスマス
dulci jubilo(No.35)、ベツレヘムのプエルナトゥス(V、No.46)。
(3)「中世の曲-言い換え」
(十字架上の7つの言葉 V9)
ダイがGebot zehnダイheilgenをシンド(V、12号。、VI、番号19および20)。
ファーターアンサーIM Himmelreich(V、番号47及び48; VII、番号52および53) 。
WIR glauben全てeinenゴット(VII、番号60、61及び62)。
(4)讃美歌は、ラテン語から翻訳。
「われらキリストを褒めたたえ」、「キリストはよみがえられた」、「われら主なる神をほめ」、「来ませ 聖霊よ」、「今こそ来ませ異邦人の救い主」

6.ルターによる讃美歌。
(1)翻訳。
イエス・キリストわれらの救い主なる神 情熱の讃美歌。VI30~33
クリスマスの讃美歌
「イエスキリストあなたを賛美」
(2)聖書を歌詞とした
「深い淵から私はあなたを呼ぶ」詩編130:(BWV 38)
「神はわがやぐら」詩篇46. (BWV 80)
「私は安らかに喜びを持ってかしこに行こう」シメオンの歌・ルカ2:29)
(3)オリジナル讃美歌
「われらの主キリストヨルダンから」(カンタータBWV 7 )
「天の高みから」「天から御使来る」

7.前の時代からの遺産を継承発展する時期から
讃美歌を創造的に作るようになった。 16世紀末から
ドイツの詩全体が宗教的な道へと向かった。というのは
ドイツは30年戦争で、国が荒廃し、破滅の危機に瀕した。生き残ったほのは宗教であり、そのだった。詩はその懐に避難した。ドイツには、その切実な必要性から、世界で比較すものがないほどの宗教的な詩を生み出した、「詩篇の素晴らしささえ青ざめるほどです。」とシュヴァイツツアーは言っている。

この時代の讃美歌は時代を写す鏡といえる。
1613年、疫病で荒廃したとき、ドイツの東部でV.ヘルベルガーは、「ヴァレットウィルイッヒディルゲベン、デュアルジファルシェウェルト」(VII50,51)を歌います。
M.リンカート(1586-1649)「今こそ、みな神に感謝しよう (nun danket alle Gott)」(VII43)は、1648年に平和の結論を鳴らしている間に作曲されました。

ヨハン・リスト(1607-1667)は、658曲を作曲しました。他に讃美歌集で生き残った
パウル・フレミング(1609-1640)、
ヨハン・ヘルマン(1585-1647)、
およびシモン・ダッハ(1605-1659)がいます。

また、これらの讃美歌作家の中には、フィリップ・ニコライ(1556-1698)とヨハン・フランク(1618-1677)の2人の神秘家がいた。
バッハは、ニコライの「明けの明星のいかに美しいかな」の歌詞でカンタータ(BWV 1)を書き、もう1つは彼の「起きよと呼ぶ声」の歌詞でBWV 140を書いた。
みまた、フランクの「イエス、わが喜び」の歌詞でモテットと2つのオルガンコラール(V31,V29)を作曲した。同じ詩人の「おお愛する魂よ自分を飾れ」(BWV180)を、またコラール幻想曲(VII49)をつくった。
しかし、感情の主観性と教訓的な視点が宗教詩に侵入し、それだけで教会の礼拝のための真の会衆の歌を作り出してきた素朴で単純な客観性を奪います。感情と言葉遣いが微細になって衰退期が始まっているとき、パウル・ゲルハルト(1607-1676)があらわれた。

8.ゲルハルトからバッハへ
ゲルハルトは、この衰退を確認するかのように現れた。彼はルター派正統派の信者であり、驚くべき速さで真の改革をもたらした。
バッハはこのゲルハルトを崇拝者し、彼のカンタータの詩を繰り返し採用している。マタイ受難曲(BWV 244)では12曲のコラールの中で、「血潮滴る主のみかしら」の曲を5曲(15,17,44,52,62)で使用していることからわかります。
敬虔主義は確かにいくつかの精神的な詩を生み出しました。しかし、バッハにとって、それほど重要ではありません。バッハは、讃美歌の本の中から過去の豊富な歌詞を用いた。
彼が自由に使えた資料は、小さなエアフルト1524年の讃美歌集から26曲用いた。バブストの讃美歌集は初版では101曲、ベルリンでほぼ1世紀にわたって使用されていたクリューガー本は、初版(1640)では250曲、第44版(1736)では1300曲、リューネブルク(1686)に2000曲と増加している。ライプツィヒで保存されている目録から、ライプツイヒ讃美歌集の8巻がバッハの所有物であったことがわかります。しかし、18世紀の後半には、もうバッハのカンタータと、その熱気は存在しませんでした。

歌詞を持ったさんびかは「讃美歌」とした。

@chap blog 20220209 jy

マタイ受難曲68

 
マタイ受難曲 
BWV244 全68曲

                                                                       

    第一部  1-30
01.合唱  1
02.イエスを殺す計画 2-4b
03.ベタニヤで香油を注がれる 4c-8
04.最期の晩餐 9-13
05.オリブ山にて 14-17
06.ゲッセマネの祈り 18-25
07.捕縛 26-29
08.アリア 合唱 30
  第二部 31-68
09.大祭司の審問 31-37
10. ペトロの否認 38-40
11. ユダの最期 41-43a
12. 訊問 43b-50d
13. 判決 50e-54
14. 十字架 55-60
15. イエスの死 61-65
16.埋葬と哀悼 66-68

サポートフォーラム 403Forbidden の件

  サポートフォーラム 「403Forbidden」

「403 forbidden このページへのアクセス権限がありません。」と言う警告が出て、
1.minichap.com (ミニチャップドットコム)が開かなくなった

2.文字を足してminichap.com/wordpressで開くことはできる。私自身はこのままでも良いが、「minichap.com」でどうぞ!と言った人に対しては、これではいけないと思った。
あれこれ試みて、

3.原因は、ホームページとブログを合体しようとして、今の私には無理とわかって断念した。この間に書き込んだ、二つのファイルの痕跡が、原因だろうとおもった。

4.この二つのファイルの問題がわかるまで、2ヶ月かかった。
wordpressのサポートフォーラムに初めて書き込みを入れ、「minichap.com」で開けるように助言を求めた。すると、一日越しに三人のサポーターから助言があった。
また、FC2レンタルサーバーにも問い合わせをして、三嶽さんに「レンタルサーバーはトラブルなく、minichap.comでアクセスしてエラーはありませんでした。問題ありません。有効です」と、サーバーの問題ではないことがわかった。
5.サーバーの中に蓄積されたデータにアクセスして、表示する、そのつなぎ役をしている「indx.php」と、アクセスするデータの順番を書き込んでいる「.htaccess 」、この二つのファイルに書かれている内容と置かれている場所を修正する。で解決できた。ありがたく、お礼のメールを書いた。
ここに、この間のやり取りを記して感謝します。

6.さらに、私のminichap.comのネットワークもこのフォーラムの方法で、人生フォーラムを開催できないかと思案している。

wordpressの中のindex.phpと.htacces をルートにコピーして、indexの17行を書き換えて、minichap.comが回復しました。また、FC2レンタルサーバーへの問い合わせで、サーバーのminichap.comは正常に動いていると回答され、
問題が二つのファイルとわかりました。

この度3人のサポートをいただき回復できましたこと、
ありがとうございました。
minichap

さんびか

               

さんびか
全55曲

  



目次 index


こどもさんびか
クリスマス 受難と復活 なつかしいさんびか

視聴率トップは「おほしがひかる」でした。戦後楽しみの少ない時代に教会学校にかよったころ。よい想い出がうかんでくるのでしょう。


なんといっても、よろこびとたのしさをはこんでくれるクリスマス世界の民謡とともに歌い継がれてきました。


復活したイエスは夢と希望をあたえ現実をかえてくれる。人の心にある再生の願望と直結している。


だれかと共に歌って讃美歌です。うたはその瞬間を呼び覚まし、魂を元気にしてくれます。

讃美歌21 ドイツミサ9 賛   歌 私作・試作

格調高い古文調がなくなり、現代のことばにかわり、ものたりないという人がいます。人と人の関係がゆるくなりそれが日本語になっているからでしょうか。


シューベルトが自国のドイツ語でつくった曲。やさしさと情感あふれるうたは多くの人に歌い継がれてきた。


オラトリオやオペラに挿入され絶賛を浴びたアリアなどを独立させて親しまれている。


ヘルマンヘッセの詩によせて四曲、これから新しいものを作ってみたいとおもっています。


   
1.こどもさんびか  7曲

              こどもさんびか

視聴率トップは「おほしがひかる」でした。こどもさんびかは人気です。戦後楽しみの少ない時代に教会学校にかよったころ。よい想い出がうかんでくる。

おほしがひかる ちいさいひつじが われらはきたりぬ きよいあさあけて
かみさまにかんしゃ ことりたちは おはようマリア あらののはてに

             

クリスマス           
よろこびとたのしさをはこんでくれる

      クリスマス世界の民謡とともに歌い継がれてきました


きよしこのよる 109
ダビデの村の 469
あらののはてに 106

もろびとこぞりて  112
羊飼い群れを守る夜に 21_251 もろびとこえあげ 102

3.
受難と復活  3曲                     

受難と復活

                           復活したイエスは夢と希望をあたえ現実をかえてくれる。
                                         人の心にある再生の願望と直結している。

あくまのしばし150

ろずのたみ151番
 
すべての民よろこべ21_327

4.なつかしいさんびか8曲             

なつかしい讃美歌 讃美歌1と讃美歌Ⅱ

だれかと共に歌って讃美歌です。
うたはその瞬間を呼び覚まし、魂を元気にしてくれます。

わが主のみまえに 山路こえて いつくしみふかき   おもえばむかし
 力の主を 春のあした  つとめいそしめ くしき主の光

5.讃美歌21  5曲

            讃美歌21                        

21世紀を迎えて、未来志向の讃美歌が作られた。


神の恵み豊かに受け

主われを愛す

主の食卓を囲み

喜ばしい声ひびかせ

われらを導く

 




6.ドイツ ミサ 9                  ドイツミサ                                                                                

 シューベルトが自国のドイツ語でつくった曲。
やさしさと情感あふれるうたは多くの人に歌い継がれてきた。


1.悩みのときに

2.栄光神に

3.世界のはじめに
4.ああ主はみことばと
5.聖なるかな

6.み弟子らにかこまれ

7.主のみことばは

8.主はわが祈りに

9.主のみいつのまえに

※全9曲讃美歌二編、すばらしい田中彰寛訳 




歌 8

賛  歌

                 オラトリオやオペラに挿入され絶賛を浴びたアリアなどを
独立させて親しまれている。


わかきわれらは

新しき歌もて 詩編98

主を信じて死に行く人は

進めわが同胞よ

うるわしの白百合

主よわれらを祝し

オンブラマイフ

涙して種まく人は

8.私作、試作   4曲                                      


ヘルマンヘッセの詩によせて
 


花に水を
     
段 階

耳を澄まして
     
春のことば

大天使ミカエルの祝日


🔥大天使ミカエルの祝日  10月最後の日曜日

 JSバッハは1723年に聖トマス教会音楽監督に就任して、亡くなる1850年まで27年間 毎日曜の礼拝で30分ほど、通常の教会暦に記された聖書日課にしたがって礼拝音楽を作曲しました。また、クリスマス、受難節、復活祭の祝祭礼拝にはトランペットとティンパニが加わって、祝祭音楽礼拝となりました。この祝祭にはマリアの祝日、そして今日の大天使ミカエルの祝祭がくわわっています。
バッハは、この27年間に27回この祝日を迎えたはずですが、しかし、楽譜として残っている大天使ミカエルの祝日は4曲だけが残っています。演奏順に並べて、この記念日を考えてみたいとおもいました。

1.BWV130 主なる神をたたえ
1714年9月29日初演 大天使ミカエルの祝日
ヨハネ黙示録12:7-12 マタイ福音書18:1-11
最後の審判の時の戦いで、龍(サタン)を天から地へ投げ落として
勝利する大天使ミカエルの祝日は、古代の異教的な秋分の祭りりを引き継ぐものである。
この日の戦いに3本のトランペットとティンパニが用いられ派手な祝祭音楽となっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2.BWV50 今や、我らの神の救いと力と支配は
1723年 ミカエルの祝日
ヨハネ黙示録12:7-12 マタイ18:1-11
「今や、我らの神の救いと力と支配は、神のキリストのものとなった。
我らの兄弟たちを告発した者、昼も夜も我らの神の前で彼らを告発した者が、
投げ落とされたからである。」黙示録12:7-12
大天使ミカエルの祝日でバッハが演奏した曲は 四回あり、この聖句は1723年の礼拝で用いられた。
ほかに福音書よりのマタイ18:1-11が読まれた。
この二つの聖句をもとにバッハは説教前に数曲、説教後に数曲を 作曲演奏したと推定される。この1曲だけが残存し、愛唱されている。
参考書 「バッハと教会」聖トーマス、聖ニコライ教会のペリコーペ
とバッハのカンタータ」  音楽の友社 丸山圭介 1989

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3.BWV19 かくて戦いが起こり
1726年9月29日 聖ミカエル祭
マタイ18:1-11 ヨハネ黙示録12:7-12
歌詞 ピカンダー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4.BWV149 勝利の喜びが歌われる
1728年 大天使ミカエルの祝日初演
マタイ 18:1-11 黙示録 12:7-12
歌詞作者ピカンダーは1728年に1年分のカンタータ詞集を出版した。
この中に60の歌詞が収められている。バッハはその中の7曲を歌詞に採用した。
本曲は1728年のミカエルの祝日に作曲初演されたと考えられる。
(バッハカンタータCD全集H.Rilling)

🥕 🧄 🌽 🧅 🍞 🍦 🍡 🍺 🥣 🛳️ 🪆 📒  🥕 🧄 🌽 🧅 🍞 🍦 🍡 🍺 🥣 🛳️ 🪆 📒

宗教改革記念 Mルター

 

M.ルター 宗教改革記念

 1517年 10月31日 M.ルターは、ローマ教会に対して95項目の提題をヴィツッテンベルク城教会の入り口に貼りつけた。中には献金をたくさんしたら天国に行けると言う贖宥状に何の根拠があるのかと言うような問題を提起した。これに対してローマ教会は1521年ルターを破門した。
 ルターを支持する領主たちの助けを得て、改革運動は全国に広がった。
M.ルターの著作を読んだのは大学闘争でバリケード封鎖をした神学館の自治会図書室、わたしもその仲間に入れてもらって、図書室を居場所にして、本を読み始めた時だった。農民戦争について述べた箇所で、ルターの宗教改革を激しく妨害したミュンツアーたち。彼らを、殺せ、突き刺せ、焼き尽くせと、学生運動のアジテーションさながらに、ルターは激しく言っていた。
 最近、バッハのカンタータの歌詞に、同じような言葉が出てきて、2度びっくりした。
それから200年過ぎたバッハの時代は、ルターは忘られて、形だけのルター正統派とそこから自由になりたい人たちが、せめぎ合っていたように、色褪せていました。バッハは独学で神学を学び、とりわけルターの真髄を汲み取って、音楽に表していました。そういう意味で、バッハの音楽・カンタータは100%強烈なメッセージ音楽といえます。宗教改革記念の讃美歌は、その意味で改革精神を呼び戻していたのだと思われます。

 
 

写真

#ルター#改革#バッハ

 
 

 



95箇条の提題が刻まれた鉄の扉    



ヴィッテンベルク城
この付属教会にあたる

 



ルターの館 
ここで夕食後のたわいない話のなかに真実があるという卓上語録といえばいかめしいが自由な懇談の中で語られたメモが出版されている。


博物館 ここで親しげに話しかけるドイツ人の家族がいて、彼はルターが愛用していた聖書カバーには日本の木綿が使われていることを私に知らせたかったのだが、こんなところで「木綿」のドイツ語が出てきては、ちょっと無理だったのでメモ帳に単語を書いてもらって、分かった時は元の木阿弥でした。