BWV248 |
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クリスマスオラトリオ BWV248
1723年クリスマス期の1月6日まで六つの礼拝で演奏された。イエス様の誕生物語を 全64曲、誕生から東の博士たちのお祝いまで、6つの礼拝で演奏した。登場人物:父ヨセフ、母マリア、天使、羊飼いと羊。東の博士たちとは、450年前に国敗れて捕虜となって連れて行かれた子孫たちで、気象衛星の学者になった人たちでした。40年に一度現れるハレー彗星の日にすごい人が生まれるという預言を確かめるためにはるばる旅をし、たどり着いた。黄金、乳香、没薬の超高級な贈り物をささげた話など。幼児イエスの誕生によって始まるイエス伝の音楽。 |
BWV245 |
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ヨハネ受難曲 BWV245 全40曲
イエスの十字架を物語るヨハネ福音書18,19章を、17曲の朗唱に導かれて進行する。アリア10曲、コラール11曲、合唱は第1曲と終曲による。朗唱の中の群衆の言葉など短い合唱が多数挿入されている。毎年やってくるイエスの受難を覚えるためにバッハは4つの福音書による4つの受難曲を作った。現在そのなかの2曲、マタイとヨハネの受難曲が残っている。 |
BWV511
BWV244 第一部 1-29
BWV244 第二部 39-68 |
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マタイ受難曲 BWV244 第一部 1-29 第二部 39-68
福音書記者マタイはイエスの受難の物語を、ベタニヤ村で一人の女が高価な香油をイエスの頭に注いで、別れの意をあらわした一件から始め、最後の晩餐をすませて、ゲッセマネの園で苦しみ祈るイエスを歌います。(第一部1〜29曲)合唱隊は二手に分かれ、主合唱は会堂の二階に設置されている大オルガンに合わせ、同じく二階に設置されている小オルガンは副合唱のエコー(こだま)を歌い、あるいは対話形式をなし、ステレオ効果を発揮して、物語をリアルなものにしています。物語は当時のトマス教会の会衆を「娘たち」とみなし「来れ娘たちよ」共にー十字架上で苦しむイエスを思いー嘆け、見よー誰を、花婿を。何をー犠牲の小羊なるイエスの、忍耐を。・・・と歌う。 |
BWV249 |
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はやく走れイエスをおめさたお墓に 復活祭オラトリオ BWV249
1725年復活祭三日前に十字架に死に、遺体を納めたお墓に、イエスがいないと言う知らせを聞いて、確かめに行くメランコリックアダージョで、その時の気分を、あらわしている。第3曲合唱、「はやく走れ、イエスを納めたお墓に」追いかけるフーガ形式の合唱。「はやく走れ、イエスを納めたお墓に・・・」と歌い始め、それに女声ソプラノとアルトが加わって4声合唱になる。夜明けの明るみのに包まれて、2人の弟子が着き、先に来ていた女たちに合流する場面です。 |
BWV243
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マニフィカト(受胎告知) BWV243
イエスの生まれを告げた天使と、マリアの驚きの会話。12曲 ルカ福音書1章により、受胎告知から始まった経験が神への賛歌となっていく過程を表している。人は自分の人生を、マリアの経験を通して見渡し、感謝へと導かれる。これをバッハはきらめく音楽にして聞かせている。歌詞のラテン語は、次のロ短調ミサ曲と二曲だけです。オムニス オムニス ゲネラチオーネス(代々の人々も) 10回*4パート=40回 繰り返される。それはちょっと、大変、とおもった。そこで日本語で「代々の人々も」を40回繰り返すのも。あんまりだなぁともおもい、日本語で「よよ(代々)のひとびとも」と入れて、オムネスと交互にしたら、意味が通じて、いいかなぁと思うようになり、そうしてみました |
BWV232 |
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ロ短調ミサ曲 全26曲 BWV232
第1曲 キリエ エレイソン(主よ あわれみたまえ) この一句だけで9分間繰り返す歌が退屈でなく、多様性にみち、それは、千手観音の手のようにも思えた。千の手をもって、助けようとする救いが表されているといわれる。 イエスが出会ったのは多くの病む人たちであった。歩けない人、見えない人、血液の病気、感染症、身内の世話になっている人。共同体から拒絶された感染症の人たち。多くは「なぜわたしが?」と答えのない問いと悩みを追っている人に、因果応報の地獄から神の憐れみのもとに引き戻し、彼の道を共に生きてくださった。 |
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BWV228 |
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恐れるな モテット BWV228
クルト.マズア(Kurt Mazur 1927-2015)の追悼と、東西ドイツ統合20周年を記念した集会で、1989年10月9日にトマス合唱団が演奏した本モテットを視聴した。本曲は葬儀や追悼で歌われてきた。無伴奏で、集会の始めや、葬儀など屋外で歌われることもあるようです。全146小節4声 合唱2段で8声に同じ歌詞を「恐れるな 私が共にいる」だけで78回かける8声 234回書くと思ったら 滅入ってしまった。いろい工夫しなければならない。 |
BWV226
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聖霊はよわきわれらを助け BWV226
17291021 J.H.エルネスティの葬式 彼はライプツィヒ大学の詩学の教授であり、トマス学校のディレクターでもあってバッハには大事な人だったと思われます。50人に増えた少年たちに寄宿舎はせまく、不衛生で、子どもたちはのみに噛まれて困っていました。バッハは何度もライプツィヒ市当局に嘆願書を書き、4階建ての寄宿舎の上に二階増築し、一番上の6階をバッハの家族と仕事部屋、5階が増設された少年たちの寝室となった。このような計画をエルネスティ教授は親身になって助けてくれたのではないかと思います。けれども、バッハは故人を誉めたたえたり、喪に服するというのでなく、「聖霊が我らの弱さを助けてくれる」と聖霊を4声部の二組、つまり8声部で「聖霊——-が」と、8分の3拍子のメリスマで刻んだ抑揚で追いかけ合うフーガを成して大合唱にし、エルネスト教授の人柄や敬意、感謝を表している。そういうモテツトです。 |
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