パロディ BWV36abc

パロディ BWV36abc

12月14日

今年良かったこと
「パロディ」と言うことを考えて

バッハのカンタータ全200曲の半分にたどり着いて、振り返り、整理をしました。
気になっていた「これはパロディです」と言う解説の意味を、
バツハの作品に照らして考えました。

Wikipediaによるとパロディとは、今は「盗作とか剽窃、コピー」とか、
版権侵害、個人情報保護という法に守られなければならないほど
乱用されている現代の凄まじさがあり、
ユーチューブに投稿する時、1本ずつ、「版権侵害していないか」チェックがあり、
また、子供の権利に関するもので「ある・ない」のチェックに答えないと先に進めないほど、
危険にさらされている現代です。
1曲は6曲の組曲でセットなっているので、私は今、
600回はこの版権チェックを通過してきたのです。
こういった版権問題はバッハの時代は皆無だったようで、
平気で「これはパロディです」と言う解説が気になっていました。

バッハは自分が作った作品を盗作したり、剽窃したりしていないけど。
またコピーしていないけど。
こう思って、BWV 36「喜び高く舞い上がれ」のパロディと言われる曲のa,b,c4曲をならべて一覧した。( https://chapblog.jp/12140-2/ )

その結果、イエスの誕生を待つ「喜び」がもと歌で、
それはa.ケーテン侯皇妃の結婚祝い、
b.大好きなトマス学校の校長の就任、
c.バッハが何かと助けてもらったライプツィヒの
人気の大学教授の就任祝いなどでリサイクルされていることがわかります。

このようにパロディには否定的な面だけでなく、大いに肯定的な面がある。
ピエロに扮した人は、
人間の本質にある悲哀を面白おかしく演じ、
患難を乗り越えさせようと「パロディ」を演じる。

この意味で、パロディは人間の本質に密着する大事な概念なのだなあと思ったわけです。
そこでわたしは、自分の若き日の礼拝説教の「パロディ」を試みようと思い、
やがて一年になろうとしている。ただのコピーはつまらない。
古民家の良さを再現することが注目されているように、
再びの説教にチャレンジしています。

その方法に昔の朝日新聞の天声人語を手本にと思い、
1600文字、4〜5つの文のかたまり!やってみて、今は無理です。
最近、ある人からもらった素晴らしいメールに感動したのですが、
とにかく長くならないようこまめに、区切り、文にリズムができれば、
つまり短歌のような文ならば、長いー短いは気にならないかなあ。
こんな感想を持って、アドペントとクリスマスと新年を迎えます。
まだ前途には希望があるようです。

(付録:作曲順にたどるバッハ—– https://chapblog.jp/oha-bach/ )

 

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