おはようバツハ 1-2
第2曲 「わたしは今や80歳、なぜこんなに重荷を負わされるのか」
テノール
わたしは今や80歳、なぜこんなに重荷を背負わなければならないのか。
わたしは望む、私の町で父と母の墓のそばで死ぬことを。
ソプラノ
わたしはこの世でわたしをよりたかめようとして、
艱難辛苦を乗り越え 歳月を越えてきたように、
罪と恥から私をまもるために 忍耐を重ね
誇らしく白髪とならん。
—–
旧約聖書のダビデの物語に、先代のサウル王の後継争いに巻き込まれたダビデが、国境周辺を逃げ回っていた時があります。ダビデが捕えられる危険を感じて、狂人を装ってよだれを垂れて、気味悪がれて、難を逃れたことがあります。またダビデを助けて親身になってくれた人もいました。
やがて追求していた息子アブサロムが死に、ダビデはエルサレムに戻って王の地位を確立し、新時代を迎えた。
その時に、お世話になったバルジライに、エルサレムで一緒に暮らそう。こう言います。ところが、バルジライは「わたしは今や80歳、父と母の墓のそばで静かに暮らしたいのです。息子を連れて行ってください。」と丁寧に断った。(サムエル記下19:32-40)
バッハは1708年ミュールハウゼン市のブラウジス教会オルガニストの任命を受けた。
ところが、その三日後に大火が起こり、市にあった三つの教会の二つが燃え、この騒動の中、バッハは結婚したばかりの妻と引っ越しできた。
ミュールハウゼン市はローマ帝国の直轄自由都市で、6人の市長と46人の参事会員が選ばれ、この中の二人の市長と14人の参事会員が1年任期で交代する時だった。
火災の復興は手付かずのままだったが、バッハはこの人たちにバルジライの姿を重ねたのだった。
初仕事になった参事会交代式は、議員たちに深い感銘と力を与えた。その印に、議会は楽譜を200部印刷して関係者に配布し、謝意をあらわした。 |