音楽な人たち

音楽な人たち

  
音楽な人たち 指揮者
  1.指揮者たち   2.合唱   3..オーケストラ   4.ソリスト   

  

YouTubeで素晴らしい演奏が視聴できるようになって、ありがたいことです。

他にも鈴木雅明氏やたくさんの方がいらっしゃいますが、

トマス教会新音楽監督のような若い方にも斬新な、コロナ禍の時代、

またウクライナ戦争で旧態然が崩れて、

   新しいものに変わっていく時代を導いていく音楽を期待しています。


A.ライゼ

A.ライゼ (Andreas Reise 1975・5・19 スイス生)
チューリヒ、ベルリンなどで教会音楽を修め、カトリック教会の少年合唱団、また声楽、オルガンの演奏家。2021年からトマス教会第18代カントルに就任。コロナ禍の中で、これまでになかったwebサイトを活用し、800年の歴史をもつ合唱団に新しい風を呼んでいる。


G.C.ビラー

ビラー (G.C.Biller ドイツ、エルフルト生、1955-2015)
東西ドイツ統一の地、1992年トマス教会第16代カントール(音楽監督)に就任。主にバッハの作品の再興に努めた。私が、1886年、まだ東ドイツ時代にトマス教会を訪ねた時、共産主義の圧政のなかで、教会堂は国の管理下にあったが、パイプオルガンはすすけた音がして、保守管理にお金をかけていなかったようだ。が、かえって素朴な印象を受けたが、礼拝に参加している0名ばかりの多くは高齢女性で、厳しい統制の時代だったとおもう。その時代を超えて、トマーナコアも復活し、取り組むべき課題は多くあったと思われた。情熱的な指揮に子どもたちが答えている姿は大変好ましく思えた。


J.サヴァール

J.サヴァール(J.Savall スペイン生 1941- )
古楽器のヴィオラダ ガンバの演奏法発掘から手がけ、古典作品の再興につくした。これにより、大劇場での興行としての音楽の流れは、中規模から小規模の教会や小グループの演奏の流れに変わった感がする。バッハの二つのラテン語歌詞の「ロ短調ミサ」と「マニフィカート」(マリアの賛歌)は、彼らの母語を取り戻したかのような、喜びに満ちた演奏が記憶に残る。


 P.ヘレヴェー

P.P.  ヘレヴェーヘ(P.Herrewegh ベルギー生 1941-)
父が医者で医学を勉強していた学生時代に音楽活動をはじめた。八波の作品を手掛け、その解釈と澄明な演奏が評価され、活動の巾がひろがった。
来日した時、名前はHerr=主の、wehg=道を行くという意味でお気に入りとのインタヴューがあった。
マタイ受難曲の指揮


E.アイム

E.アイム(Emanuelle Haim フランス生 1962- )
ドイツのフランクフルト放送交響楽団指揮者。精力的で人気上昇中!マタイ受難曲の指揮


H.リリング

H.リリング(Helmuth Riling ドイツ生  H.リリンク 1933.5.29-)
リリングが指揮するクリスマスオラトリオをYoutubeでみた。下の欄の書き込み評を読んでいた時、「いやだ ミリタリー音楽のようだ」という言葉に、何だろうと思ったことがある。教会音楽、特にバッハの大家H.リリングが指揮する本曲の第1曲の評だった。
最初に太鼓の連打で気を引きつけるところを言ったのかなぁと思った。 しかし、リリンクの指揮そのものが、 かくあるべし みたいなところが気にかかったのかもしれない。

 命令形の言葉をどう表したらよいか、考えていたので、音楽における命令形って何だろう?とも思った。

そこで、「いざ 歌え」ーこれは1968年に神戸栄光教会聖歌隊でクリスマスオラトリオ第1曲を歌った時の

指揮者清水さんの訳である。平和な時代の命令形と戦争へ向かう命令とは意味が違うだろう。

わたしは「さあ うたおう」(let’s sing) というように、命令形を呼びかけの言葉にすることにした。

ミリタリー(軍隊)音楽は わたしも嫌だ。

 ちなみに、武田又彦先生にどんなCDがおすすめですかと尋ねたら、H.リリンクの名前を教えてもらった。

リリンクのカンタータCD全集は大変教えられた。なんども聞いた。

 彼は昨年指揮者を引退した。が、トビアス,ショーコルフの新聞にシートミュージックについて

巻頭の言葉を書いていた。こういう方面にも関心を寄せているのだなぁおもった。

なお、わたしが使っているのはmusescore3 (フリー)で、世界で2千数百万人が使って、

多くの人が作品を投稿している

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合  唱 団


聖トマス教会少年合唱団     
ドイツ・ライプツィヒ   

 1212年アウグスチノ会トマス修道院附属学校を起源とする。

 1517年マルチンルターによって始まった宗教改革で成立したプロテスタント派のトマス教会となった。


 合唱団現在団員は100名でトマーナー(Thomaner)と呼ばれ、この教会とライプツィヒ市によって受け継がれてきた。


 トマナコアの来日は198 年、福岡公演には福岡の少年が募集されて、知り合いの木の脇道元さんも参加し、(わたし

は当日は行けなかったが、)記憶に残る一件でした。


その時、ヨアヒム・ロッチェがカントールで日本に来ていたが、彼は福岡まで来ないで代理の指揮者が立った。


 その後、東ドイツが崩壊し、東西ドイツの統合がなされ、共存の難しさを克服したドイツは目覚ましい

進展を遂げている。統一時、ソ連時代の密告告発=シュタージでヨアヒム・ロッチェが告発されたという

ニュースを紀伊國屋書店の音楽雑誌立ち読みで見つけて大変驚いた。東ドイツ共産党時代のキリスト教

冷遇と共に心が痛んだ。

 旧ゲヴァントハウス楽団ホールで、そこは共産党の歴史展示室になっていて、共産党の偉業をあれこれと

展示している中にヨアヒム・ロッチェとトマナコアの日本公演の写真があった。

係のおばちゃんにこの人日本公演に来ていたというと、よう言ってくれたと言わんばかりに、

ソーメン流しのように何事かをしゃべり始めたが、わたしには一言もわからなかった。


 こういうこともあって、統一後の第16代カントールはビラー(ヨアヒム・ゲオルク・ビラー )さん。

失われたものを取り戻すかのように、バッハに対する敬意と愛情を子供たちに丁寧に熱心に伝えていた。

わたしの最も心惹かれる人物でした。、そしてコロナ禍の渦中にスイス出身のアンドレアス・ライゼが

第18代カントールに就任した。教会音楽を修め、少年合唱団を指揮していた若き俊才。

トマナコアは新時代を先駆けているように思われる。      

コロナ禍のトマーナコアと未来
 「創立以来800年の中で、クリスマスの讃美歌を歌わなかったという記録はない」こと自体、

衝撃を持って体験された。     (https://www.thomanerchor.de 思い出と歴史) 

 コロナ禍で世界規模でキリスト教会が礼拝を停止した。

しかし、webを用いて世界各地との合唱の試みがなされたり、観客のいない、出演者が密を避けて、

少人数で距離をとっての演奏など。工夫が見られた。観客が多ければ成功という評価は減少し、

心に残る演奏が評価されるようになる。

 こうしたことから、歌う力も減少したわたしは、ますますPCに向かって音の創生に情熱を注ぐことが

出来ると喜んでいる。

  今年のバッハマラソンでは、トマーナコアのライゼ新監督の指揮でマタイ受難曲が演奏された。

ベルリンの少年合唱団も参加していた。 楽器はこれまでゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが演奏してきたが、

積極的に若手を起用していた。受難曲の劇的要素が強調され、テンポも一段と速く感じられた。

特に、各部分の話を締めくくるコラールは会衆賛歌のゆったりした、テンポ60くらいの心に染みて共有する音楽が

伝統的であったが、さらっと終わって肩透かしのような気分がした。コロナ禍はまだしばらく続くようだが、

この流れは音楽を寛容にしたと思う。新しい何かが生まれつつあるようだ。 
 
トマス教会聖歌隊   


ドレスデン聖十字架合唱団


 その歴史は13世紀にさかのぼる。


少年たちは附属の寄宿舎つき学校に通い、卒業後は全寮制の学校に就職する。

著名な卒業生はカール・リヒター、テオ・アダムス、ペーター・シュライアーなどがいる。


1976,1988年日本公演。    

ウィーン少年合唱団  

オーストリア ウィーン

 1498年に神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の宮廷礼拝堂少年聖歌隊として設立された。

モーツァルト、サリエリ、フルーツクナーが共演し、シューベルトは合唱団員だった。(wikipedia)
  
テルツ少年合唱団 (Tolzer Knabenchore)



南ドイツのアルプスの温泉地バートテルツにG・S・ガーデンによつてモーツァルト生誕20年の年1656年に

組織され、少年200人が4つのグループに分かれて活動している。(wikipedia)1986年初来日。

「バイエルンの天使」たらさわみちの漫画。

 


 ai 歌声

 アニメ文化の中で生まれ発展しているai 歌声で、讃美歌やバッハのコラール200曲(各6曲組曲)を歌えるか?

合唱できるか?相当悩んだが、5年やってみて、人工知能の学習能力は奥深く、崇高なものがある。

ある特定の人の声をベースに作っている歌声は特色があって個別には好き嫌いがあるかもしれないが、

合唱は個性を生かして美しい一つの声にし、その4声を一つの美しい声に仕上げていく。

その過程を人工知能CeViO aiも十分取り組んでくれて、美しい曲を醸し出している。

さらに、わたしの印象では、出来上がった音楽ファイルmp3 もなんだか時と共に進化しているように思えるのは

錯覚なのかもしれないが、時間を置いて聴いても、よくなって、感動を呼んでいる。

なによりも、肉体は老化しても、精神は若くなりうるという感触を受けている。






   ソリスト ドロテー・ミルズ (1971年、ドイツ生) ソプラノ歌手


 日本にも来られたようです。その時のインタビューで、ベルギーの指揮者ヘレヴェーへと出会って

考え方が変わった話をしていた。喉を震わせて歌うビブラートをしない、ノンビブラート発声についてだった。

わたしが最近使っているaiによるチエビオキャラクターの発声の多くはビブラートの音域を電子的にカット

しているように思っている。そして、ノンビブラートのその声に慣れてくると、

ビブラートに対する違和感を感じるようになってきた。
 
最近高音域を歌う男性のカウンターテノールが増えているが、彼らはビブラートしない。

また変声前の少年合唱団のソプラノたちはビブラートをしない。


 おそらく、音楽が興行化し大きなホールで演奏されるようになり、大音量を求められるようになって、

ビブラートを使って発声するようになったのではないか、とわたしは推測している。

しかし、バッハをはじめとする音楽は初演された当時の楽器で歌う潮流となり、

教会や中規模の会場で演奏する流れができつつある。

そして、あっという間に楽器もピリオド楽器=古楽器に変わってしまった。

そのようなわけで、ドロテー・ミルズさんは新しい道を見つけて歩んでいる。

    

 

 

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